筑後川昇開橋展望公園
【筑後川昇開橋展望公園について】
国鉄佐賀線は昭和10年(1935年)5月25日鹿児島本線瀬高駅と長崎本線佐賀駅を結ぶ鉄道(総延長24km)として筑後川昇開橋を含む全線が開通した。
佐賀線の開通以前、大川・柳川地区から佐賀・長崎方面へ行く場合は、鳥栖・久留米を経由するほかに方法がなく、まさに“陸の孤島”とされていた。
鉄道開通以後、佐賀市までの通勤通学や筑後平野でとれた米の輸送も速くなり、また、以前は木材の輸送もイカダで運ぶだけであったが、この鉄道により各地の木材も送り込まれ、家具建具の生産が増え、まちの発展に大きく貢献した。
しかし、昭和30年(1955年)大川橋が開通し、乗用車の普及やバスの路線の充実により年々利用者が減り、貨物も陸運輸送の発展にともなって取扱量が減少したため、第二次廃止対象路線に指定され、昭和62年(1987年)3月27日をもって、52年にわたる鉄道の歴史に幕を閉じた。
筑後川昇開橋は、船舶航行のために中央部が上下に動く昇降式可動橋では東洋一といわれ、現存する可動橋としては、この橋が全国唯一である。
この歴史的文化遺産を保存し後世に伝えるため、展望プロムナードとして再生し、筑後若津駅跡地を中心に駅舎をイメージした展望棟、モニュメント等を設置し、『筑後川昇開橋展望公園』として総合的に整備したものである。平成8年3月(現地案内板より)
佐賀線の開通以前、大川・柳川地区から佐賀・長崎方面へ行く場合は、鳥栖・久留米を経由するほかに方法がなく、まさに“陸の孤島”とされていた。
鉄道開通以後、佐賀市までの通勤通学や筑後平野でとれた米の輸送も速くなり、また、以前は木材の輸送もイカダで運ぶだけであったが、この鉄道により各地の木材も送り込まれ、家具建具の生産が増え、まちの発展に大きく貢献した。
しかし、昭和30年(1955年)大川橋が開通し、乗用車の普及やバスの路線の充実により年々利用者が減り、貨物も陸運輸送の発展にともなって取扱量が減少したため、第二次廃止対象路線に指定され、昭和62年(1987年)3月27日をもって、52年にわたる鉄道の歴史に幕を閉じた。
筑後川昇開橋は、船舶航行のために中央部が上下に動く昇降式可動橋では東洋一といわれ、現存する可動橋としては、この橋が全国唯一である。
この歴史的文化遺産を保存し後世に伝えるため、展望プロムナードとして再生し、筑後若津駅跡地を中心に駅舎をイメージした展望棟、モニュメント等を設置し、『筑後川昇開橋展望公園』として総合的に整備したものである。平成8年3月(現地案内板より)
【写真】
【感想】
- 日没で沈む太陽と昇開橋とのセットを一度見てみたいと思う。